沿革
• 阿里山賓館沿革 •
1895
• 1895年 •
日清戦争後、台湾が日本に割譲される。日本政府は各地の地名を調べて資源を探査し、阿里山一帯が森林資源に恵まれていることを知り、開発に着手する。
1912
• 1912年 •
嘉義から二万坪までの森林鉄道が完工、開通し、阿里山から嘉義にかけて林業を中心とした近代化が始まる。
1913
• 1913年 •
阿里山林場と出張職員の宿泊施設を整備するため、近くに事務所と林場長の官舎を建設。落成後は、阿里山一帯の経済、政治、文化の中心地となった。
1914
• 1914年 •
森林鉄道の幹線が沼平駅まで延び、林場の事務所が沼平に移され、もとの官舎は総督府営林所の管轄となり、上級職員の出張施設に改築されて、「営林倶楽部阿里山分駐所」、通称「阿里山倶楽部」に名称変更。
1945
• 1945年 •
終戦により日本人が台湾を離れ、国民政府が接収して運営を引き継ぎ、「林務局阿里山招待所」に名称変更。
1965
• 1965年 •
観光業発展のため、200万元の資本を投下して招待所を改築、「阿里山賓館」と名称変更。
2001
• 2001年 •
交通部、7月23日に阿里山国家風景区管理処を設立、9月4日に陳水扁総統(当時)が除幕式に出席。
2003
• 2003年 •
12月12日、林業署にとって初めてとなる民間事業者による投資建設BOT契約を林業署と締結し、敷地内に高級リゾートホテルを建設。客室を110まで増やす予定だったが、貴重なヒノキを保存するため、106部屋に設計変更となった。地域全体が活性化し、再び台湾観光の優先チョイスとなることが期待された。
2012
• 2012年 •
改装して現代人のニーズに合ったサービスを提供、台湾でいちばん高い場所にあるリゾートホテルになった。
2020
• 2020年 •
石川伝媒(メディア)グループが運営を引き継ぎ、設備をリニューアルして質の高い宿泊環境を提供。同グループは「台湾における人の営み」を経営理念に掲げており、ホテルの史料集めからスタートして、百年ヒノキ歴史館で阿里山の美しさ、豊富なエピソードを展示した。